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携帯小説が女子高生に人気なわけ
2009-06-17 Wed 17:57
先日、最近売り出し中の佐々木希が携帯小説が原作の映画に初主演する、という報道があり、ヤフーのコメントで、

「レイプ」「クスリ」「裏切り」「リスカ」「援助交際」「妊娠」「流産」

をコトコトと煮込んで、

「運命の人」「真実の恋」「永遠の別れ」

で味付けしたら、女子中高生に大ヒット作品の出来上がり・・・か。



というのがあり、うまいなぁ、と思った。

私もそこそこ携帯小説はチェックしているのだが、確かに、上記の通りの内容一辺倒なことが多い。

では、なぜこんな内容のものがPVをとれるのだろうか。内容に比べて、一時代前の、レディースコミックのような卑猥な感じは実はまったくなかったりする。

ちょっと話は飛ぶのだが、最近、他人とのふれあいで感動したことがあった。簡単に列挙してみる。

・渋谷のデパートでの初老のコンシェルジュの案内が親切丁寧だった。
※私が知っている多くの老人は若者に対して不遜かつ、ため口が基本だった。

・電気工事を大きなトラックの周りで通行整備をしている若い人から老人までいる警備員達が、みんな笑顔で「ご迷惑かけます!」「どうぞ!」と愛想がよかった。
※町中の小さな工事の警備員など、ただ棒をふっている人しか知らなかった。

・吉祥寺で、見事に、老若男女、私の前でドアを開けた人が、私に開いたドアを引き継いでくれた。
※こういった西洋的紳士行動は日本ではあまり見られない

・東急ハンズ新宿店で、ちょっと質問した初老の店員が、その後また合った時、カゴの中をチラ見して、「さしでがましいのですが・・・」といろいろアドバイスをしてくれて、買う商品を減らすことに成功した。
※プラスアルファの親切丁寧な接客など、とうの昔に忘れていた。

いかがだろうか。一見当たり前だ、という人もたくさんいるとは思うが、※以下の、私のそもそもの考え方があることで、感動が増すのだ。

そう、普段のレベルが低いと、普通のことでも感動をする。

千利休が庭の朝顔を見に来た秀吉に、庭の朝顔を全部切ってしまい、一輪を活けたものを見せたことに似ているかもしれない。たくさんある朝顔を見ると、一輪の美しさに気づかないもの。

話を戻すと、携帯小説は原則、女性にとって、これ以上ない不幸の連続が多い。
一難去ってまた一難。ジェットコースターのように、友達、彼氏から助け上げられてもすぐ更に下る。

これは、若い人にとって、今があまりにも平凡である、ということの象徴なのではないだろうか。

将来に夢はもてない。
現実は最悪ではないけど、最上でもない。
惰性で生きているような感じ。
「空気が読めない」人間にならないように、言動に気をつける。

自分がなんで生きているか、よくわからない感じ。
ふっと、死んでしまってもかまわないような感じ。

そのくせ、カタストロフィーは目の前にあったりする。
就職できない人。ニート。引きこもり。いじめ。教師のワイセツ行為。日本の将来。

そんな中で、携帯を普通にもつことができる層の若い人にとって、日常は普通の顔を保つ「生」でしかなく、その裏には破滅が渦巻いている。しかし、その破滅はリアルでもあるが、リアルでないため、ちょっとした感動さえ他人に感じることがない。

そんな若者は他人に何も感じないないから、何か世の中のためになるようなことがしたい、などと、自分が何かそんな世間にできることがないか、を考えることで惰生からの脱出を図ろうと考える。

しかし、一人暮らしはしない。貧乏や嫌。

そんなとき、ありとあらゆる不幸が押し寄せる携帯小説を読むことで、普通であることが不幸な自分が慰められるのではないか。

体も心も傷つく主人公。自己投影しながら、それを見下げてる自分もいたりして。

だから、主人公にあこがれる、ということはない。「ふ~、泣いた、泣いた」とそこらへんはドライ。

そしてまた、普通の生活に戻る。


自分と同じ世代の人間のありとあらゆる不幸話にはまることと
ネットで見ず知らずの他人を誹謗中傷したり、嫌がらせをすることと

同じような気がする。

他人の不幸を見る
他人を不幸にする

その鏡として、空気の読める自分のアイデンティティーが保たれる感じ。
本当の自分はこういう感じなんだ、っていう叫びと鼓動。でもそれを表現できない。


携帯小説の破壊衝動はこういった心理が原動力となっているような気がする。

資本主義である限り、収益見込みがあるものを商品化したことはわかる。

ただ、大人は子供に流行っているものの、カタストロフィーをどこまで理解し、それに対してどういった責任を感じ、責務を果たそうとしているのだろうか。

そういった大人の社会意識なくして、いたずらに若者で商売を本来すべきではない。


今、若者にとってダークな時代であることを大人はしっかり受け止め、携帯小説をバカにするのではなく、自分たちがこれからの若者のために何ができるのか、を考えることが必要だと思う。







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