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自業自得だったり、同情できる、だったり。
2010-02-22 Mon 12:03
SNS系の普及や、ヤフーのニュースコメント等が増え、2ch以外でもいろいろなニュースに対するコメントが見れるようになった。

そこで最近ふっと思ったのが、このタイトルの言葉が多いこと。

・どっちもどっち
・同情できない(同情できる)
・自業自得だ

そういやって、簡易ジャッジメント達が、個人同士の問題等の刑事事件に対して、逮捕されていようがいまいが、被害者側を誹謗中傷することがある。

しかし、これが通じないこともある。それが暴力・暴行事件での加害者・被害者関係の時だ。

・気持ちはわかるが暴力はいかん

ということになってしまう。

なぜだろうか。
刑事事件になる時点で、それが暴行であろうが、名誉毀損であろうが、加害者・被害者の関係は変わらない。
なのになぜか同じ関係性であっても、暴行に対しては一方的に加害者を悪く言うことが多い。

私は思うのだ。世間一般の意識があまりにも貧困になっている、と。

私はかねてから、ネット=バーチャルとは思っていない。すべてリアルに存在する人間の行動だからだ。

そもそも、暴行がなぜ問題なのか。それは、「わかりやすい」からだ。
加害と被害が明確。第三者でも証明しやすい。なので、社会生活での絶対基準、刑事・民事法律と照らし合わせて、さばくことが容易なのだ。

しかし、本来、暴力とは暴行だけではない。言葉、イジメ、パワハラ、誹謗中傷。いろいろある。
被害者が傷つくことは、肉体的・精神的にも対して変わらない。むしろ、精神が傷つく方がその後のダメージを考えると大きいぐらいだ。

では、なぜ暴行だけ悪モノ扱いなのか。

それは、世間一般で、「自分自身が暴行で返されると嫌だから」につきると思う。

・相手を誹謗中傷した→相手に何らかの精神トラブル→相手にも非がある

この自分自身の正当化の流れが

・相手を誹謗中傷した→相手から報復の暴行を受けた

これは許せないのだ。


暴力の定義が単に暴行のみにとどめたい。それは自分達が暴行以外の暴力行為をしても、暴行を受けない、受けても相手が悪くなる、という安心感。

そんな気持ちが、この「自業自得」や「同情できる」等に現れているのではないか。

そんなことを考えた今日この頃。




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