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派遣社員切りの自己責任論について考えてみる
2008-12-17 Wed 17:06
派遣社員を現在、契約打ち切りすること自体はなにも法律違反をしていないし、それに異議をとなえるのは甚だおかしいことだ。

そこで、派遣社員と社会との関係を考えてみる。

派遣をむしろ選ぶ人間。派遣しか選べなかった人間。現在議論になるのは後者だ。

後者の人達を話す時、とかく言われるのが
社会のせい論→現在の不景気が原因
自己責任論→正社員になれるよう、自分を磨いてこなかったからだ

しかし、大事なことが抜けていないだろうか。

それは現在の採用問題だ。

日本では、採用試験の場合、必ずといっていいほど履歴書と中途は経歴書が必要だ。
時系列に詳細で必要なので、辞めた期間や性別などが見られることがある。

しかし、たとえばアメリカ。ためしにgoogleの募集要項を見てもらいたい。
書類はプロフィールシートのみだ。そこには年齢も性別も国籍も書く必要がない。
書くことは「何ができるか」という売り込み部分だけだ。

日本の場合、会社の最初の選別を考えてみると
新卒採用→大学、国籍で選別
中途採用→年齢(時には性別、若い人は大学でも)、国籍で選別

特に中途の場合は年齢を問われる。ヘッドハンティング会社はサーチエージェントは平気で「その歳だと、昔のように募集は見つからないよ」と言うわけだ。

もちろん、アメリカにも純然たる差別はある。他民族国家だからこそ、それを社会の仕組みでカバーしようとしているのだ。

日本は島国だったこともあり、大多数が日本人だ。ただ、ここで問題なのは、日本人だから差別がないわけではない、ということだ。

人間という動物は必ずと言っていいほど、差別をする生物だ。そういったことを日本では「区別」としてクラスター化している。

そういったクラスター化による差別の波が一気にくるのが、日本の就業社会なのだ。

アメリカのようなはっきりわかる差別の場合、一応それを阻止する仕組みはあるが、人による部分があったりする。しかし、日本のように潜在化している場合、特定の案件の問題というより、社会全体がそういった雰囲気になってしまうし、法律もできない。もちろん、クラスター化は日常茶飯事となる。

そういった意味で、派遣にとどまらず、労働者に対する社会の対応は、「品格」などと区別化がもてはやされる、日本社会をよく表しているのである。


と、いうことで、今の状態は「社会の問題」。
日本人は自分達が行っている「区別」が「差別」とほぼ同じ意味であることを知るべきだ。


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