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太田光の私が総理大臣になったら、で衝撃の結果が
2009-01-26 Mon 13:52
私は極力、タイトルの番組を見るようにしている。というのも、裏番組にミュージックステーションがあること、金曜の20時という、一般サラリーマンが帰宅できる時間ではないこと、などから、視聴者は有権者でかつ、高齢もしくはブルーカラー系が多いと予測し、その人達の生の意見を垣間見ることができるからだ。
そして、前回、すごい結果が出た。

三遊亭楽太郎の「75歳まで頑張って生きたら、あらゆるものをタダにします」法案が一般視聴者の53%が賛成だったのだ。

この財源についての楽太郎案は、現在非課税になっている、出産費用、学費等もすべて消費税をかけ、消費税率を10%以上にあげる。そのかわりに所得税、法人税を10%に下げる、という恐ろしいものだった。この財源案がある前に、反対政治家が、「まずは人済、それがダメなら共済、最後に公済。3つがバランスをとらなくてはいけない。なんでもすべて国まかせ、というのはおかしい」という意見があり、それに納得した賛成側の太田もさすがにほとんど発言しなかったというのに、だ。

もちろん、こんな数字を信用するのはおかしい、操作があるのでは?という考え方も頭の片隅にはある。それにしても、だ。

日本はとかく老人に対してやさしく、と言えばいい、ような風潮がある。なぜかというと、いままで日本のためにがんばってくれたからだ、などという。

では、なぜここまで核家族化が進んだのだろうか。自分の親でさえ(自分の親だから)も一緒に住みたくない、ということだろう。そのような世代関係の肉親でもない老人に対して「ありがとう、あなたちのおかげで今のすばらしい日本があります」と感謝を感じる若い人がどれだけいるのだろうか。

私もつい最近まで、年上はそれだけ経験をしているので、敬うべきだ、という考えを持っていた。しかし、それは間違いだと気づいた。

生きた年数は何の徳にもならない。問題は、どう考えて、どう生きた、ということではないか。
決まった考えの枠の中で、傍若無人に生きた町の自転車屋の75歳よりも、3万人いる保護児童を支える34歳の先生の方が私は尊敬する。

年数とは経験則が増える、ということと、何か成すことが増える、という2面でしかない。
この2面が75歳を過ぎても、今を生きる30代にかなわない人がどれだけいるか。

もし、大事にしろ、というのなら、それはお年寄りではなく、「われわれの生活のために、尽力した方達を大事にしろ」なのだ。

そこらへんが議論されず、無理やり年寄りを大事にしろ、という偽善者が多いから問題なのだ。

権利には義務も生じることが当たり前なのだ。

偽善者が責任を持たない、むちゃくちゃな擁護をし、老人はそれに調子に乗る。今回の楽太郎の意見で一番怖いのは、出産や学業など、子供の養育に税金をかけるところだ。これは額の問題ではなく、未来への投資よりも、過去に投資をしろ、ということだ。

よく社会保険の例で出されるスウェーデンなどは、消費税が20%を超えているが、その分、確かに老人医療などは無料化さえている。しかし、子供の教育費も無料なのだ。大学、大学院に至るまで無料。未来と過去。そのバランスがとれているからこそ、高税金に耐え、海外留学後も自国に戻る若者がいるのである。世代間のギブ・アンド・テイクが納得いく形になっているのである。

しかし、日本の老人問題が語られるときにそんな議論はまずおきない。今回の楽太郎がいい例だろう。

そして、それに賛成する過半数以上の視聴者。

あなたたちがいるから、核家族化はこれからも進むんです。
あなたたちがいるから、子供は生まれないんです。
あなたたちがいるから、社会は狂うんです。
そして、
あなたたちがいるから、日本は滅びるんです。

でも、その人達が選挙有効数を占める人達でもある。

それが今の日本の変えようもない現実。
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